マチュピチュをゴールとするインカトレイル
2011年7月25日〜7月29日
佐々木康治


南米は治安が今ひとつ、時間もお金もかかる。同じ行くならゆっくりしたいものだと57日間の旅と欲張る。南米を初めて訪れたのは97年、あの時は戦々恐々として旅をしていた。スペイン語圏であり、英語が通じないのがもどかしいが、拙いスペイン語で苦労しながら言葉のやりとりをするのも楽しい。

インカ・トレイルの出発基地クスコ(標高3399m)は、インカ帝国の首都、「へそ」の意味で、世界の中心との自負がうかがえる。マチュピチュ(Old Peak)とワイナピチュ(New Peak)に挟まれた山間にあるマチュピチュ遺跡(標高2400m)は、NHK調査で世界遺産人気ランキングNo. 1遺跡をゴールとするインカトレイルはバックパッカーには超人気、環境保護のため一日500人の人数制限があり、数ヶ月前に予約する必要がある。

私は66才だが、ネットで申し込んだとき、65才以上は健康証明書が必要だとの返信があり、「健康証明書は英文の場合は\5,200です」と近くの病院で言われ迷ってしまった。6月に台湾最高峰玉山3952m)に挑戦した時も健康証明書を求められたが、過去に登った高山の登頂写真がその役割を果たした。「前にインカ道を歩いたことがあり、他の高山の登頂写真でもよいか」と問い合わせると、「インカ道の経験者は健康証明書は必要ありません」との嬉しい返事が返ってきて一件落着。

インカ・トレイル(3泊4日)はお金がかかる。基本料金US$505、アグアス・カリエンテスでの追加1泊US$80、ポーター代US$60(9kg)、マットレス+寝袋=US$20、ステッキ2本US$20、高山病予防のタブレット2040Soles=\1300と、合計約60,000が飛んでいく。97年に参加したときは全く同じコースで僅かUS$60の参加費、10倍もの値上がりに音が上がる。マチュピチュ遺跡のそばに聳えるワイナピチュは前回は自由に登れたのだが、今月中旬から一日400人という人数制限に加え有料化(150Soles=\4800)されている。

同行者は、アイルランド女3、イギリス女1、オランダ・カップル、カナダ・カップルで、22才から31才までの若さ、果たしてついていけるかどうか不安になる。面倒を見てくれるのは、ポーター14人、ガイド2人と参加者の倍の人数。全行程は49km、屈強なポーター達が一人25kgの制限内で、テント、テーブル、椅子、炊事用具、食料、参加者の荷物などを運ぶ。大きな荷物をかついだポーターが、軽いバッグしかもたないのに、息も絶え絶えにノロノロ歩いているトレッカー達を、ゴム・サンダルで走るように追い抜いていく。

一日目(easy:14km/7hrs)は、午前9時にトレッキング開始。すぐにインカ道入口のチェックポイント、旅券の提示が必要で、頼めば旅券にスタンプを押してくれる。イミグレでもないのに、旅券にスタンプを押してもらってもいいのかなと心配になる。チェックポイント横の吊り橋を渡り、ウルバンバ川沿いを下り気味に歩いていく。途中、休憩がてらガイドが丁寧な説明をしてくれる。遺跡を始め、歴史、文化、動植物にいたるまで、ガイドの博識ぶりには驚く。熱が入ってきて説明がつい長くなり、体が逆に冷えてしまい、休憩が逆効果になる。前回参加したときは説明など一切無く、自分たちのペースでひたすら歩いたものだった。昼食休憩の時は驚いた。先ずは汗を拭くために、一人ひとりに石鹸とタオルと熱いお湯が準備されている。テントが立ち、その中にテーブル、椅子が並べられ、料理もレストラン並みの豪華なフルコース。時間的には9時から歩き始めて午後5時過ぎにキャンプサイトに着いたのだが、実際歩いたのはコースタイムの7時間よりずっと短い。

二日目(challenge:14km/10hrs)が勝負、今日を乗り越えられれば後は何とかなる。前回の二日目は雨にたたられ、同じように苦労している仲間達と本当に一歩一歩積雪の山道を4200mの峠まで歯を食いしばって頑張ったことが思い出される。しかし今回は好天気が私達の味方をしてくれる。午前7時20分出発、参加者の中では25才のイギリス娘Janeが顔色も悪く最後尾、どうみても無理な様子、でも杖にもたれながらも、前に進むしかないと必死の頑張り。確かに引き返すこともできないし、他に選択肢はない。祖母が遺産を彼女にも分けてくれたのでこの南米の旅が実現したとか、95才で亡くなった思いやりのある祖母に感謝している。なるほど孫に遺言で遺産を残すのも面白いかも知れないと、もう先の短い私も頭にインプットしておく。

私はマイペースで無理をせず彼女の前後をつかず離れず歩いていく。やがてインカ道の最高所4200mDead Woman’s Pass(峠)が上の方に見えてきて勇気づけてくれる。最後の昇りの手前で苦しくてうずくまっている人達もかなりいる。何とか峠までたどりつき、達成の喜びをかみしめながら絶景を眺める。先に到達した優越感に浸りながら、最後の昇りに苦労している人々に対し余裕をもって励ましの声をかけるのも楽しい。暫し休憩の後、再度歩き始めたが、下り坂そしてまた昇り坂と今日はきつい。広い平地のキャンプ場には午後5時28分に到着。トイレも水洗とは嬉しい限り。夜は冷え、朝起きると、テントにそして芝生に霜が降りていて、最低気温はー7℃だった。

三日目(unforgettable:14km/5hrs)は主に石段の道、下りとなるとJaneは苦労している。展望台に出ると氷に覆われたアンデスの高峰が間近に見える。周囲にはギザギザの山々が連なり目を奪う。今日はなだらかな下りが多く昨日とはえらい違い、てっぺんに旗が立っているのがマチュ・ピチュだとガイドが教えてくれる。山容自体は平凡なものだが、その向こうの山間に日本人人気ナンバーワンのマチュ・ピチュ遺跡があるのだ。

朝8時15分に出発しキャンプ地到着は午後1時42分と今日の行程は楽、そして900mの高度差を降りたのでもう熱帯のジャングル、寒さから解放される。このキャンプ地は、前回にインカ道を走るように駆け抜けトップで到達し、少し遅れてやってきたオーストラリア人男性、イギリス人女性と3人でビールで乾杯したところだ。

昼食も夕食も豪華すぎる。参加者の中に4人の菜食主義者(veggie)がいて、彼らには肉のない特別メニュー、このような時ぐらいは主義主張を抑えて、コックの手間を省いてやればいいものをと考えてしまう。

今日はインカ・トレイル最後の晩、夕食後みんなでチップの相談。パンフにもあり、ガイドもしつこいほどチップのことを繰り返す。パンフには目安として、ポーターには参加者一人20ドル、ガイドには10ドルと具体的な数字まで出ている。集まったポーター分840Soles=\26,900を、輪になってポーターに一人60Soles=\1900ずつ渡したのだが、一人分足りない。少し手際が悪く、どうも誰かが間違えて一人に2人分渡してしまったのだ。彼らにとって1900円は大金、もらったものと思っているので、今更もらいすぎたと正直に言うのは躊躇するのだろう。暫し気まずい時が流れる。ガイドが助け船を出してくれ、ポーターがお互い同士5Soles=\160ずつ出し合って補填することで解決。ガイドにはUS$40=\3200ずつ渡ることになり、参加者にとっては金額も大きく、本来任意のチップが強制的に思われ、すっきりしないままチップ授与式を終える。

インカ道には遺跡が散在し、その都度ガイドが休憩を兼ねてインカ帝国の素晴らしさを説明してくれる。15世紀後半の約50年間が帝国の最盛期で、南北4000kmに及ぶ広大な領土を治めていた。アンデネスと呼ばれる段々畑はアンデスの語源になっているのだが、高度によって異なる農産物を生産し、その生産性も高く、社会組織も整い、道路網は40,000kmと地球1周分、そして石造建築、外科手術の技術など、高度な文明を持っていたと誇らしげに語る。

1532年、僅か168人のスペイン軍に皇帝アタワルパは捕まり殺害されインカ帝国は崩壊していくのだが、何故簡単に少人数のスペイン軍に屈したかについては、ガイドはいろいろと弁解がましく説明する。天然痘small poxの猛威と、皇位継承権を巡る兄弟の骨肉を争う内乱を起こしていたのが、大きな二つの要因だという。他にも純朴なインカの人々は、あまりにも姿形の違うスペイン人を神のように信じ、簡単に彼らの奸計にはまってしまったこと、鉄の銃器の威力に屈したことなどもある。現在、アンデスの人々が歴史をひもとく時、侵攻したスペイン軍がインディヘナを冷酷無比かつ残忍に扱い、神殿・教会等をことごとく破壊するなどの屈辱的な経緯には憤懣やるかたないとの感情が溢れ出て、それがまた逆にインディヘナ文明への讃歌ともなっている。

最終日4日目(unique:7km/2hrs)は真っ暗な3時半にwake-up call、4時に温かい朝食、ボーター達の早朝からの働きぶりには感謝でいっぱい。今日はもう楽なコースなのでのんびりムード。4時25分にキャンプ地をスタート、約10分歩きチェックポイントで開門を1時間ほど待ち、5時35分に再スタート。私の足は軽い、ガイドのFreddieのすぐ後ろをついていくと、彼はスピードを上げ始め、次々とトレッカーを追い抜いていき、私も負けじとついていく。最後の方は岩を駆けのぼっていく。私も遅れまいとついていったが、彼は普段高地に住むインディオ、太刀打ちできる筈がない。太陽の門には6時31分に到着、ほとんど一番乗りだったが、最後はゼーゼーハーハー、呼吸を整えるのに時間がかかった。太陽の門の反対側に憧れのマチュピチュ遺跡が初めて美しい姿を現した。近づくにつれ、ワイナピチュを背景にした広大な遺跡の石造建築が一層神秘さを増し、シャッターを切り続ける。

10時からワイナピチュ登山。始めは軽い昇り、そして一度峠まで下って、そこから先は急な昇り。鉄製の太いチェーンが張り巡らされ安全に配慮がなされている。大岩ばかりの頂上は、眼下に見えるマチュピチュ遺跡を背景にすると絶好の撮影ポイント。下りの方が恐ろしく、狭い危なっかしい200段ほどの階段は、かなり危険、降りきった時はホッと一息ついた。。


マチュピチュに関しては諸説があり、現在有力なのは一大交易センターだったというもの。太陽の神殿、3つの窓の神殿、日時計など見所は沢山あるが、景色を眺めているだけでも十分楽しい。
夜は麓のAguas Calientesに泊まり、翌朝天井がガラス張りの列(US$30)で渓谷美を満喫しながらクスコに戻り、たまった洗濯物を干す。マチュピチュはやはり最高、世界中の人々が憧れ、日本人が人気No.1にあげるのも納得。

南米にはマチュピチュ以外にも数多くの見どころがあり、また来てねと呼びかけている。